古墳はどうやって作ったのでしょうか。
大きな墳丘を見ると、土を積み上げるだけでも途方もない仕事に思えます。
古墳の築造は、場所と形を考え、地形を加工し、土や石を運んで墳丘と埋葬施設を造る作業の組み合わせとして捉えると理解しやすくなります。
ただし、葺石や埴輪の有無、内部の構造、施工方法は、時代・地域・墳形や規模によって異なります。[S1] [S2] [S3] [S4] [S6]
この記事では、発掘調査の成果を紹介する自治体・博物館の解説と研究者の説明をたどり、確認できることと推定を分けて整理します。
ここでいう「古墳の作り方」は古代の築造の話で、模型や工作の手順ではありません。
古墳を造る作業の全体像
地形の加工・掘削
土を運ぶ・積む
石室・粘土槨など
棺の安置・埋葬
石材の調達・葺石の施工
埴輪の製作・配置
※葺石・埴輪のない古墳もある
図を見るときは、「どの仕事が必要か」と「どの順で行ったか」を分けてください。前者を整理できても、後者がすべての古墳で確定するわけではありません。埋葬施設の形式や、残っている調査資料に応じて判断します。
場所を選び、地形と完成形を考える
墳丘は、すべてを平地から積んだとは限らない
神戸市の五色塚古墳は、この点を理解する例になります。神戸市の解説では、三段の墳丘のうち下段は元の地面を掘り出し、中段・上段は盛土で造ったとされています。外から見える丘の体積が、そのまま人の運んだ土の量になるとは限りません。[S3]
場所を考えるときには、完成後の姿だけでなく、元の地形をどう使ったかを見る必要があります。個々の古墳で立地を選んだ理由まで説明するには、その古墳の資料が必要です。
形を地上に示す方法と、測量の推定
堺市博物館は、土地を整え、地面に計画する形を示してから掘削・盛土へ進む流れを説明しています。また、水を利用して水平を測った可能性を挙げています。水による測量は推定であり、この解説を古代の設計図や測量器具が一式出土した証拠として扱うことはできません。[S2]
土を掘り、運び、墳丘を造る
濠を掘った土を墳丘へ積む方法が、公的解説で示されています。ただし、濠の有無や元の地形は古墳ごとに異なり、必要な土をすべて周囲の濠から得たとは一律にいえません。[S2] [S3]
造成の痕跡も手掛かりです。グワショウ坊古墳では、異なる土が重なる様子が確認されています。「その積み方が見つかったこと」と「墳丘を強くする目的だったという解釈」は、証拠の性質が異なります。[S2]
鉄の道具と、土を塊で扱う技術
國學院大學の青木敬氏は、U字形の鉄刃を持つ道具によって土をブロック状に切り出し、移して積む技術に注目しています。百舌鳥・古市古墳群の巨大化を支えた技術の一つとする研究上の説明です。すべての古墳が同じ道具・同じ工法で築かれたという意味ではありません。[S1]
運搬方法を具体的に描く際にも注意が必要です。後述する大林組の試算では、人がモッコで土を運ぶ方法を設定していますが、これは工事を計算するための復元条件です。その運搬量を古代の実測記録のように引用することはできません。[S7]
葺石・埴輪・埋葬施設をどう組み合わせたのか
五色塚古墳では表面の葺石と、平坦面に並べた埴輪が知られています。神戸市は、中段・上段の葺石が分析により淡路島由来と判明したと説明しています。築造を考える対象には、現場の造成だけでなく、材料の調達と輸送も入ります。[S3]
埴輪の製作には別の証拠があります。高槻市の新池埴輪製作遺跡では、工房、焼成用の窯、工人の集落が発掘調査で確認されました。土を盛る人だけでなく、必要な品を作る人々にも目を向けられる事例です。[S5]
一方、富山県氷見市の柳田布尾山古墳について、市の資料は葺石・埴輪とも「なし」と記載しています。葺石を敷き、埴輪を並べる工程を、古墳の必須条件にはできません。[S6]
埋葬施設にも違いがあります。棺を上から納める竪穴式石室、棺を粘土で覆う粘土槨、横から入る通路を備える横穴式石室などです。棺や施設には時代差・地域差があり、墳丘造成との前後関係を一つの手順で説明するのは適切ではありません。[S4]
古墳は誰が作った? 命令する人と作業する人を分ける
「誰が作ったか」は、造営を進める力を持った人を尋ねる場合と、現場で作業した人を尋ねる場合で答えが変わります。次の表は、参照資料をもとに必要な役割を整理したもので、当時の名簿や組織図ではありません。
| 側・役割 | 資料から読み取れること | 断定できないこと |
|---|---|---|
| 造営を支える側 | 大規模な築造には人と材料を集める力が必要と考えられる。[S2] | すべての古墳の命令者の氏名や、同じ動員制度の存在。 |
| 計画・作業を調整する側 | 形を整え、異なる作業を結びつける役割を想定できる(工程からの推定)。[S1] [S2] | 当時の役職名・組織図・管理方法。現代の工事会社の制度をそのまま当てはめない。 |
| 現場で土や石を扱う側 | 掘削・運搬・造成などの作業を担った人々。具体的な配分は個別に検討する必要がある。[S2] [S3] | 全員の身分、出身地、報酬、労働日数。 |
| 埴輪などを製作する側 | 新池遺跡では工房・窯・工人集落が確認されている。[S5] | すべての古墳が同じ工房・同じ生産体制を利用したこと。 |
大きな墓だからといって、働いた人全員の身分や働かされた事情まで分かるわけではありません。「すべて農民」「すべて奴隷」といった一括した説明は、ここで確認した資料からは導けません。
何人で何年かかった? 大林組の数字は復元シミュレーション
大仙古墳(堺市の資料名では仁徳天皇陵古墳)について、堺市博物館は大林組の1985年の試算を紹介しています。その計算では、作業のピーク時に1日2,000人、工期は15年8カ月以上とされています。これは古代の工事日誌や出勤簿から確認された人数・年数ではありません。[S8]
大林組の説明では、1日8時間労働・週1回の休み、掘削能率は1人1日2立方メートル、モッコで2人が1回60キログラムを運ぶ、といった条件を設定しています。対象の形・数量や作業能率を仮定し、必要な仕事量と日数を組み立てた現代の復元シミュレーションです。[S7]
読む際には、「その日の最大人数」「延べ人数」「支援する人を含む人数」を混同しないことが大切です。前提が変われば試算も変わり、巨大な大仙古墳の値を小さな古墳に当てはめることもできません。古代の実際の工期・参加人数は、この試算だけでは確定できません。
確認されたこと・推定・分からないこと
| 論点 | 確認されたこと | 推定・学説・シミュレーション | この資料だけでは不明 |
|---|---|---|---|
| 墳丘の造成 | 五色塚の地形加工と盛土、グワショウ坊の土層。[S2] [S3] | 土層の積み方に込めた強度上の意図。 | 全古墳に共通する施工手順。 |
| 測量 | 形や高さを計画して築くという公的解説。[S2] | 水平を測るため水を使ったという説。 | 各現場で実際に使った器具と手順。 |
| 材料と製作 | 五色塚の石材産地、新池の埴輪工房等。[S3] [S5] | 個別の運搬方法・工程の復元。 | 運搬経路や作業者の全容。 |
| 工期と人数 | 1985年の大林組試算が公表されている。[S7] [S8] | 仮定した能率・勤務条件に基づく計算値。 | 古代に実際にかかった日数と人数。 |
「不明」は、この記事の参照資料だけでは確定できないという意味です。関連する研究が一切存在しないという意味ではありません。
古墳の築造を知るには、完成した形だけでなく、地形、土層、石材、製作遺跡、埋葬施設を組み合わせて見ることが役立ちます。工程図で全体をつかみ、具体例では対象古墳と根拠を確認する。この読み方なら、分かっている技術と、これから確かめるべき点を分けて理解できます。
参考資料
確認日:2026年10月4日。本文の[S番号]は以下の資料に対応します。自治体・博物館の解説と大学の研究者解説を参照しており、すべてが発掘調査報告書や査読論文そのものではありません。図1・表1・表2は資料をもとに筆者が作成した整理で、原資料の図版の転載ではありません。
- S1 國學院大學・青木敬「古墳を巨大化させた技術革新・・・そして終焉へ」(2019-07-23/学術機関の研究者解説)
- S2 堺市博物館「古墳の謎7 古墳はどうやって造るの?」(2018-08-04/公的)
- S3 神戸市「国指定史跡『五色塚(千壺)古墳 小壺古墳』」(2026-08-26/公的)
- S4 堺市博物館「古墳の謎3 埋葬施設」(2018-08-19/公的)
- S5 高槻市「史跡新池埴輪製作遺跡」(2024-03-01/公的)
- S6 氷見市「柳田布尾山古墳について」(2020-04-03/公的)
- S7 大林組プロジェクトチーム「現代技術と古代技術による仁徳天皇陵の建設」『季刊大林』第20号(1985年発行/その他・企業による復元シミュレーションの一次資料)
- S8 堺市博物館「仁徳天皇陵古墳百科」Q9・Q10(2022-03-28/公的・試算の紹介)

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